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No.303 社会的な正義が必要とされるCOPD対策

  • 執筆者の写真: 木田 厚瑞 医師
    木田 厚瑞 医師
  • 4月9日
  • 読了時間: 9分

2025年4月9日

 

 COPDは、歴史的には社会性の高い疾患として知られています。肺結核に関する治療が一段落した1960年代初頭から、発症の原因として、環境問題、喫煙問題が取り上げられてきました。

 「ロンドン- 慢性気管支炎、シカゴ- 肺気腫」という当時の研究者の言葉で代表されるように、英・米研究グループの考え方が対立する形で研究は進歩します。当時、英国グループは、咳と痰が多い病気を慢性気管支炎と呼んでいました。他方、米国グループは、息切れが強い病気を肺気腫と呼んできました。共通する原因として、貧困な住環境の中で、健康情報を持たない社会の底辺に近い人たちが環境汚染、喫煙習慣の犠牲になった病気として注目されました。両国の研究者たちが、典型例を持ち寄って検討会を開催した結果、肺の中で起こる病変は異なるが同じ疾患を意味していることが判明し、折衷案として考え出された病名が、COPD(慢性閉塞性肺疾患)という病名です。将来、適切な病名が生み出されれば変えるといういわば暫定病名でしたが名案がないまま、わかりにくい病名として定着しています。わが国では、途中に破裂音が入るCOPDという横文字病名、慢性閉塞性肺疾患という、長すぎる邦文病名ですが社会的な認知度は少しずつ上がってきています。


 医療は、高度の応用科学です。現在に至る、近代医療の進歩を強力に牽引してきたのは明らかに米国です。ところが、米国の平均寿命は先進7か国(G7)の中で最も短く、さらにコロナ禍が追い打ちをかけ2.5年も短くなりました。この理由は、貧富の格差と並行して「健康格差」が拡大してきたことが理由だといわれます。COPDは米国では経済的な貧困層に多いという特徴があります。インテリ層では喫煙者が少ないという事情もあります。劣悪な環境で生活し、自分の健康を守るために必要な情報を持たず、また、希望しても自由に受診できず、相談に乗るひとも周囲に見つからないという事情も反映していることでしょう。COPDは、社会性の強い疾患です。近年の研究では、COPDは胎児や幼少時から発症しうることが判明してきましたが次世代を担う年少者に増加していることが深刻な問題となっています。

 米国では、早期診断の体制は不十分であり、さらに医療格差が大きく、経済的な理由から標準治療となっている吸入薬などを購入することができない、あるいは十分に使えないという背景事情も指摘されています。多くの反省点のなか、WHOの事務局長は、人種対立、これから生まれる健康格差の解消を呼びかけています。この主張で特にタバコを強調しています。


 米国胸部学会雑誌は、呼吸器疾患に関わる先端で質の高い情報を掲載していることで高い評価を得ています。ここでは、英国のCOPD研究の第1人者たちが共同で発表した、COPDと社会正義に関する論文[1]を紹介します。米国胸部学会雑誌には、社会正義を主張する論文は、多数掲載されていますが、社会のひずみを具体的に指摘するような論文は、多くありません。その中で、呼吸器専門医たちに宛てた、「COPDは社会的弱者が犠牲になっているという主張」は、診療に携わっている医療者たちに対する警告であり啓蒙ともいえます。

 喫煙習慣だけでなく、コロナ禍の中、黒人では爪の色による違いで、重症化したのに現在のパルスオキシメーターでは低酸素状態を早期に診断できず、治療開始が遅れ、多くが犠牲になったとの強い非難があります。これも解決すべき医療問題として指摘されています[2]。

 



Q. WHO事務局長の提言は?


 WHO事務局長は、2025年2月3日、第156回理事会における開会挨拶で、以下のメッセージを残した[WHOのホームページより]。


・WHOの使命は、「健康を増進し、提供し、保護する」ことである。


・非感染性疾患は、心血管疾患、糖尿病、がん、慢性呼吸器疾患が世界の死因トップ10のうち7つを占めている。


・本年は、WHOたばこ規制枠組み条約の発効から20周年にあたる。過去20年間でWHO FCCTとそれをサポートするMPOWER技術パッケージにより喫煙率は世界で1/3に減少した。グルジア、ラオス、オマーンはたばこ製品にプレーンパッケージを導入した。ベトナムではWHOの支援により電子タバコと加熱式タバコ製品を禁止した。また、ケニア、ザンビアでは9,000以上のタバコ農家における、タバコ栽培からコーヒ―栽培への移行を支援してきた。




Q. バイデン前政権による医療対策は?


・2024 年 5 月6 日、バイデン政権は、医療における差別禁止の保護を強化する目的で

医療費負担適正化法の第 1557 条(S1557)の最終規則を発表した[3]。


・具体的には、S1557は、人種、肌の色、出身国、性別、年齢、または障害に基づく差別を禁止している。この規則は、「対象事業体」、つまり連邦政府が資金提供する医療提供機関(病院、診療所、保険会社など)および医療プログラムが行動を起こすための指針となる。差別保護は、対象事業体組織内の個人(経営陣、従業員、スタッフなど)と、組織から医療および医療サービスを受けている個人に適用される。




Q. パルスオキシメーターの使用における問題点は?


 米国胸部学会誌には、以下の点を指摘した論文が掲載された[2]。


・S1557の文書から、パルスオキシメトリーの測定値における肌の色に関連するバイアスの可能性が指摘された。すなわち、黒人が重症の低酸素血症となっても正確に検査する精度が保たれていない。


・パルスオキシメーターの読み取り値 (SpO2) は、標準治療のバイタルサインと見なされ、動脈血酸素飽和度 (SpO2)を推定できる。


・パンデミック中の実際例の調査では、肌の色が濃い人を含む一部のサブグループではSpO2の精度が低いという数十年前からの指摘が裏付けられた。すなわち、解決策のないまま被害者を増加させた。


・黒人および非白人のグループでは、不正確にも拘わらずSpO2測定値は正常酸素として特徴付けられ、重症コロナ感染症の早期発見が遅れた。


・この誤った評価は、入院や、薬物療法、酸素補給、人工呼吸器などの治療の投与など、下流の臨床上の意思決定の全てに影響を与え、その結果、黒人および非白人患者の死亡率と罹患率の上昇に寄与した可能性がある。


・臨床ケアと指導における健康の公平性は、米国胸部学会の使命の範囲内であり、学会の責任として、推奨事項とガイドラインを特定、レビュー、および修正を行うべきである。


・パルスオキシメーターの情報をより正確にする目的で、流体の特性、光学物理、およびその他の物理的側面による制限の影響の基礎研究を進めるべきである。肌の色の補正係数を組み込むことも考えられるがバイアスの影響を受けやすい。


・規制用語や統計用語の解釈を単純化しすぎると、格差が隠れたままになる可能性がありうる。したがって、パルスオキシメーターのユーザーには、精度の限界を理解し、問題点を教えておく必要がある。




Q. COPDは社会的不公正による疾患ではないか?


・COPDは、Johan Galtungが1969年に主張した組織的な暴力による結果、生じた疾患である。結果的に、弱者の生命が短縮する結果をもたらしている。


・差別行為は、Stokely Carmichael (1968年)によれば、人種差別と制度上が生み出した差別に分類されるが、COPDは後者に相当する。




Q. COPDの発症と治療における社会的な要因とは何か?


・5つの問題点が指摘される。


1)喫煙問題の放置など行政側の問題点。


2)重要な問題点を有しているが医療者にその自覚が乏しく医療者側からの発言が少ない。


3)一般人に対する予防医学的な視点の教育が不足しており、その結果、多数のCOPD患者が出た。


4)COPD診療のレベルが低く、早期発見、早期治療、患者・家族への適切な指導が医療者の責任で実施されてこなかった。


5)患者に対する社会的な公平性、配慮の乏しさがあり、息切れなどで困っている患者を援助、救済するという態勢がとられていない。




Q. COPD診療における連鎖としての問題点は?


・正確な診断が遅れている➡さらに不適切な医療となっている➡COPD患者は社会的に阻害された生活を強いられている➡その中で社会全体のサポート体制は不足している。




Q. COPDの診療政策の問題点は?


・予防策の失敗である(禁煙対策の不足:政府および雇用会社責任、公的存在としての個人責任)➡特定の個人における傷害(幼少者、高齢者、人種的な不平等)➡治療対策が不十分(呼吸リハビリテーションの不足、終末期治療の体制が不整備、セルフマネージメントの教育が不十分、適切な情報提供の不足)。




 COPDは、環境の改善や個人的な生活習慣の教育を幼少時より徹底させることにより予防できる疾患です。英国、米国だけでなくわが国でも同じ問題点が指摘されます。かつて、わが国では、タバコは政府が運営する専売公社で製造、販売されていました。対策が遅れたため、現在もなお、高齢者に多くの患者を発生させています。しかも、早期発見、早期治療の予防態勢は組まれていません。


 論文[1]の末尾では、ドイツの有名な病理学者、ルドルフ・ウィルヒョウの言葉を紹介しています。

 「医療は社会科学である。政治とは広い意味で医療そのものである。医療では問題点を指摘し、理論的に解決策を講じなければならない」。

一人ひとりの生命をもっとも大切に扱う社会こそ、政治の最高の目標としなければならないという主張は、極めて合理的です。公衆衛生の実践とは、健康の考え方を広める、公平に進める、社会正義にもとづくことであると主張しました。

 できるだけ健康で快適な環境の中で長生きする社会を提供することが政治の役割であり、それを果たしていくことこそが政治の役目であるという言葉は、極めて印象的です。彼は言葉を残すだけでなく、自らが衆議院議員となり、しかも党首として活動しています。その政敵はビスマルクでした。その間も病理学者として、研究と教育は続けていました。

 COPDは紙巻タバコが大量に生産された戦後、急増してきた病気ですが、ウィルヒョウがいまの時代に活躍しておればどのような政策を取り入れたか。WHOから離れると宣言した米国大統領と、政治が医療そのものであると主張する真逆の立場の政治家があることを知ります。他方、わが国では、COPD対策はどのように取られてきたか。喫煙習慣は、個人的な嗜好であると切り捨てになっていないか。本当に十分な情報提供がなされているのか、を今一度、冷静に見定める必要があります。

 

 

 

参考文献:

1.Parris J. Williams PJ. et al.    

Disease as a manifestation of structural violence lung disease and social justice: chronic obstructive pulmonary disease.

Am J Respir Crit Care Med 2024; 209: 938–946.


2. Lellouche F. et al.

U.S. Food and Drug Administration Strategy to evaluate pulse oximeters: The same cause will produce the same effects.

Am J Respir Crit Care Med 2024;209: 1301–1303.


3. Machado S. Association between wealth and mortality in the United States and Europe.

N Engl J Med 2025; 392:1310-1319.


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