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No.164 息切れがない新型コロナウィルス感染症の低酸素血症:その後の情報


2021年5月6日


 エヴェレストは、ネパールとチベットの国境にそびえる世界の最高峰。標高8,848m。

1953年5月29日、イギリス登山隊のヒラリーとテンジンが初めて登頂したことで知られています。高度の低酸素状態での強い息切れの中での危険な登山でした。

私たち、呼吸器医が日常的に診る慢性の呼吸器疾患の患者さんの大多数は息切れを訴えて受診する方です。しかも、その息切れは、坂道を上るときや、重い荷物を持ったときに強くなります。息切れは、健康な時、病気のときにも起こりますが個人的な感覚であるため評価しにくいという大きな問題点があります。重症度の把握が難しいのです。


 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の特徴の一つは、低酸素血症と息切れが必ずしも一緒に起こらないことです。そのため、重症であることが気づきにくいことが難点であり、入院の待機中に予見できずに急変するようなことが報じられています。


高度の酸素欠乏があれば生体が危険にさらされるので、息切れはSOSサインといえます。新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の重症例では、高度の低酸素血症があるにも拘わらず息切れ症状がほとんどないので自分で危険に気づきにくく発見が遅れます。このような低酸素血症は、静かな低酸素症(silent hypoxia)あるいは米国メデイアは幸福な低酸素症(happy hypoxia) と呼んでいます(コラム No.107、参照)。


 この不思議な現象に呼吸生理学者の関心が高まっています。胸部レントゲン所見で両肺が真っ白となり高度の低酸素血症がみられる状態は呼吸窮迫症候群(ARDS)と呼ばれ、呼吸器疾患の中では最重症の状態です(コラム、No.47、参照)。この時には、高度の呼吸困難が症状です。


 ARDSとCOVID-19のsilent hypoxiaにはどのような違いがあるのか?現時点での知見をまとめた論文を紹介します[1]。




Q.COVID-19に見られる低酸素血症とは?


・COVID-19の1/3は重症にも拘わらず呼吸困難がなく、急速に呼吸不全が悪化した。


・パルスオキシメーターの測定値(SpO2)が70%以下(正常値:96~99%)、動脈血で直接測定した酸素分圧が40mmHg以下(正常値:80~100mmHg)でも呼吸困難を全く訴えなかった、という例がある。




Q.息切れのない低酸素血症は他疾患で見られるか?


・SARS(SARS-CoV-1による感染症。新型コロナウィルス感染症はSARS-CoV-2による)およびインフルエンザ(H1N1)でも呼吸困難がないが酸素吸入が必要な場合が0~27%に必要であった。このことから息切れのない低酸素血症はウィルス感染症の特徴ではないかと推定されている。




Q.軽度のCOVID-19で低酸素血症がかなりみられるのではないか?


・ある病院の救急外来では、2020年3月に多数の人たちの間で実施した検査では、平均SpO2/1分間の平均呼吸数の値は5.0であった。それまでの過去3年間では、3.2~3.5であったのでCOVID-19の流行期に入りsilent hypoxiaが増加しているのではないかという報告がある。




Q.低酸素血症を起こす肺の病的変化とは何か?


一般的に、肺の病気で低酸素血症を来す原因は以下の5つの可能性がある。


1.吸入している空気の中の酸素分圧が低下している(吸入気の酸素分圧が低い)。

2.肺内に入る空気の量が少ない(低換気状態)。

3.拡散障害(肺胞内の酸素が肺胞の壁を越えて血管内の血液中に取り込まれない)。

4.肺胞の部分、部分で換気量に対する血液循環の効率が低下している(換気・血流不均等分布)。

5.動脈血と静脈血の経路が短絡状態(シャントと呼ばれる)。


このうち、COVID-19 の呼吸窮迫症候群(ARDS)で起こる可能性はこれまでの知見を総合すると4,5である。

換気・血流の不均等分布および血液路の短絡が低酸素血症を起こし、これに伴い肺動脈が低酸素状態で収縮する現象が起る結果ではないかと推定される。




Q.COVID-19でsilent hypoxiaを起こす要因として考えられるものは何か?


以下の3つの可能性がある。


1.感染により肺組織が硬くなってしまったのではないか?

2.感染により低酸素に対し肺血管が収縮、拡張するという機能が失われてしまったのか?

3.感染により呼吸困難を感知する神経機能が傷害を受けたのではないか?




Q.感染により肺組織が硬くなるという可能性について?


・COVID-19で報告された肺組織が硬くなるというデータを肺コンプライアンス(compliance)という指標で比較すると通常のARDSの場合と比較して統計的な有意差がない。息切れは肺コンプライアンスの違いで説明がつかない。




Q.低酸素状態で肺血管の収縮-拡張の機能が傷害を受けた可能性は?


・COVID-19患者の胸部CTでは、スリガラス陰影に一致して血管の拡張および血流増加の所見が見られる。このことから血液循環に異常が起っていることが推定される。


・COVID-19の報告例では肺高血圧は軽度に過ぎない。これは、従来型ARDSと同様である。


・肺血管に異常があるとすれば肺動脈壁の平滑筋の異常の可能性がある。これはSARS-CoV-2が細胞に取り付きやすいACE-2受容体を有していることが理由である。

他の可能性として、ウィルス感染で異常をきたした血管内皮細胞が酸素の変化を受け付けなくなった可能性がある。




Q.呼吸困難を感ずるセンサーが異常の可能性は?


・酸素センサーである頸動脈体の細胞あるいは息切れを感知する脳組織にSARS-CoV-2感染が起こり機能障害を起こしている可能性がある。細胞に取り付きやすいACE-2受容体を有している。


・肺の硬さ(compliance)は呼吸による仕事量を決めるがこれが低二酸化炭素血症の状態となり、息切れ感覚を鈍くさせている可能性がある。


・高齢者の糖尿患者では、低酸素刺激が鈍化し、低酸素血症があるにも拘わらず息切れを訴えないことがあるがこの現象と共通するのではないか。




Q.COVID-19感染者にとってsilent hypoxiaはどの程度の危険があるか?


・高地居住者、先天性心疾患でみられる慢性安定期の低酸素血症では息切れを感じない場合があるがこれと同じ問題とすべきではない。高地居住者では多血症が起こり、先天性心疾患では心拍出量が多くなり、換気と血流のバランスを是正しようと働くが代償機転が働くがCOVID-19ではこれが無い。




Q.Silent hypoxiaについての将来課題は?


・COVID-19の症例について経過を追った詳しいデータが不足している。Silent hypoxiaが特有の病態であるのかであるかどうかが不明である。


・胸部CT所見と肺の組織所見が一致しているかどうかを確認する必要がある。


・低酸素と胸部CTの変化が一致するかどうか。


・実験動物にCOVID-19を感染させ、ウィルス感染により組織がどのように変化するか。血管系に対する治療薬の効果判定。ウィルス感染で換気に関わる組織にどのような変化が起るかを経時的に観察していく。




 COVID-19は、すでに全世界で感染者数、死亡者数も膨大になっていますが、病気の本体に関する詳しいデータは依然として乏しい状態が続いています。病床数や医療スタッフが不足した中で細かな臨床データを揃えるのが困難な状態にあります。

 Silent hypoxiaは、その中でも悪化、死亡に直結する重要な徴候ですが、詳細な研究が待たれているのが現状です。




参考文献:


1.Swenson KE. et al. The pathophysiology and dangers of silent hypoxemia in COVID-19 lung injury. Ann ATS, Articles in Press. Published February 23, 2021 as 10.1513/AnnalsATS.202011-1376CMES


※無断転載禁止


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