No.204 健康な肺内にもいる細菌叢とは何か


2021年9月24日


「健康人では、声帯から下の肺内は無菌状態である、誤嚥をくり返す人では、気道の粘膜が汚染され、その結果、病原菌の増殖が起る」。私たちが学生時代の頃に教わった情報でした。

 この情報は、1999年に改訂第6版を発行した有名な病理学の教科書の中でもそのように記載されています。ところが、近年、細菌の遺伝子情報の解析が進んだ結果、無菌であると長く信じられてきた情報が誤りであったことが解かってきました。


 ここで紹介する論文は[1]、健康な喫煙者でみられる肺内の細菌叢が果たしている役割を解明しようとした研究です。この論文の編集にあたった研究者のコメント[2]がユニークであるのでそれから紹介します。




Q.南極大陸は無菌?


・1903年、南極を探検したスコットは次のように述べた。

「…私たちは生物を見たことがなく、コケや地衣類さえも見たことがない…それは確かに死者の谷である。かつてそれを押し通した大きな氷河でさえ、枯れてしまった」。

注)Robert Falcon Scott(1868-1912)。イギリスの探検家。1899年、1910年に南極を探検。1912年、南極点に達したが帰途遭難死。


・サンプリングの課題と培養技術がなかったため南極の土壌には生きた生物はいないと信じられていた。


・現在、南極の土壌には、生存可能で活発な微生物の生命が含まれていることが判明している。通常の方法では検出されない微生物の分類群を識別16S rRNA遺伝子アンプリコン配列決定およびメタゲノミクスの手法で解析に成功した。




Q.肺内は無菌か?


・健康な肺はバクテリアが住みにくい環境であると考えられていた➡肺内は無菌であり、ここから検出された微生物はすべて口腔内細菌による汚染だと考えられてきた。

➡過去、約10年間の技術的進歩でヒト、動物の肺内に動的低バイオマス細菌群叢を有していることが判明した➡肺マイクロビオームと呼んだ。




Q.本研究の方法論とその結果は?


・肺マイクロビオーム分野は、呼吸器疾患の発症と経過に関わるという報告がある。

本研究ではCOPD(慢性閉塞性肺疾患)に肺マイクロビオームが関わるのではないかという前提で実施した。


・対象は喫煙者で肺機能が正常な健常で非COPD患者、21名。


・気管支鏡を用いて健康で喫煙者の肺を洗浄し、その液(BAL)の細菌群集と代謝プロフィールを解明した。


・肺マイクロビオームの解析として以下の3つの論理的方法を用いた。

1)16S遺伝子アンプリコンシーケンシング(DNAベース)からの分類学的割り当てに基づいて推定される代謝の可能性。2)確認済み全ゲノムシーケンシング(DNAベース)を使用した代謝の可能性。3)RNA-seq(RNAベース)を使用した転写的に活性な代謝経路。

特定の細菌が産生すると考えられている脂肪代謝産物を解析した。さらに、実験的なマウスモデルでその結果を検証した。


・以下の3点を発見した。

1) 最も基本的な発見は、下気道微生物叢が、肺感染がない場合でも、ヒトの肺において遺伝子転写および代謝的に活性がある。被験者間で変動がみられたが、肺微生物叢の分類とそれらの転写および代謝の間の全体的な相関性には説得力があり、活発な代謝を明確に反映していると考えられた。


2) 異なるシーケンシングベースの方法は、肺胞代謝物の濃度とのさまざまな相関関係をもたらし、生存可能な代謝的に活性な細菌を特定する際の精度の違いを反映していた。RNA-seqを介した微生物の転写の直接的な特性評価は、DNAベースの手法よりも実際の肺胞代謝物質の濃度とより密接に対応していた。


3) 口腔咽頭吸引の実験モデルでは、吸引された細菌からのDNAは、転写されたRNA(時間単位)よりもはるかに持続性(日数単位)であり、健康人の肺で生存している肺マイクロバイオームの動的な性質を示している。すなわち、ある程度の期間の一定性が保たれていた。




Q.本研究から導きだされたことは?


哺乳類動物は産生しない短鎖脂肪酸は、従来、腸管で産生され、T細胞系の免疫を介して喘息および炎症性大腸疾患、大腸がんと関わることが判明している。今回の研究ではこれが肺内でも証明された。




 腸内細菌叢は、免疫調節代謝物の産生(および「腸-肺軸」と称される役割)でかなりの注目を集めています。現在までの研究では、免疫の維持に対する肺微生物叢の局所的な代謝の寄与を無視できないことが明らかになっています。

 本研究では、肺内には一定の細菌叢がほぼ、安定的に存在し、代謝産物を産生していることを明らかにしました。腸内細菌を安定させることにより喘息など気道の炎症疾患の新しい治療法の開発を期待させる研究と言えます。




参考文献:


1.Sulaiman I, et al. Functional lower airways genomic profiling of the microbiome to capture active microbial metabolism. Eur Respir J 2021; in press

(https://doi.org/10.1183/13993003.03434-2020).


2. Baker JM, et al. Is the lung microbiome alive? Lessons from Antarctic soil.

Eur Respir J 2021; 58: 2100321 [DOI: 10.1183/13993003.00321-2021].


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