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No.354 酸素不足状態で認知症の悪化が起こるか?

  • 5 時間前
  • 読了時間: 9分

2026年4月17日


 近代の集中治療医学は、1952年、デンマークのコペンハーゲンでのポリオ流行にまで遡ることができると言われます。集中治療室はICUと呼ばれ、最重症者に対する救急救命治療の重要な場所で、多くの医療者が24時間体制の高度の緊張状態の中で働いています。

 ICUでは、一方では治療に伴う苦しみと死があり、他方では、重篤な病気の後の生存と回復後の生活の再開が目標です。医学の進歩にもかかわらず、ICUで最も一般的に使われる治療法の一つである酸素治療に関しても、効果的な治療に関して根本的な疑問が残っています。動脈血中の酸素が不足した状態は、呼吸不全と呼ばれますが、どれだけの酸素をどのような方法で供給すべきかの議論は続いています。生命の維持に必須の酸素ですが治療目的で使われる酸素は、薬と同じ位置づけであり、過少なら治療効果を示さず、過剰ならば有害です。ここで紹介する論文は、ICU発祥の地からの発信であることも興味ある点です。

 さらに問題となる点は、こうして救命しえた患者さんが認知症に近い状態になることが経験的に知られています。酸素療法の問題点は、いまだに、未解決の部分が多いことを示唆した論文[1]を紹介します。

 



Q. 酸素吸入に伴う肺の損傷とは?


・高濃度の酸素吸入が肺の実質構造、すなわち肺胞組織や、血管構造や細胞レベルでの過酸化作用によって損傷を起こすことが知られている。最も強力な作用は、過酸化症による活性酸素種による直接的な細胞損傷である。

 ➡重要なことは、酸素吸入の必要性が高く、指示されている場合、酸素中毒を防ぐためという理由により酸素吸入を控えるべきではないということである。


・過酸化は、超酸化物陰イオン、ヒドロキシルラジカル、過酸化水素などの活性酸素の中間体(ROI)の産生増加を通じて細胞損傷を引き起こすと考えられている。

 ➡ROIの産生が増加したり、細胞の抗酸化防御が失われると、必須の細胞内分子と反応して機能を損なうことがあり、その結果、細胞損傷や細胞死を引き起こす可能性がある。

 ➡ROIはまた、有害な炎症反応を促進し、二次的な組織損傷や細胞死(アポトーシス)を引き起こすこともある。

 ➡ROIによる直接的な細胞損傷を支持する多くの証拠は、スーパーオキシド・ディスミューターゼ活性が変化したトランスジェニックマウスの研究から得られている。抗酸化機構が強化されたマウスは過酸化に比較的耐性がある一方で、マンガン超酸化ジムターゼノックアウトマウスは出生直後に変性神経細胞および心筋細胞内に広範なミトコンドリア損傷を起こして死亡する。動物モデルのデータから、インスリン成長因子および血管生成因子が高濃度酸素症にみられる誘発性肺損傷の病因に関与する可能性が示唆されている。




Q. 酸素濃度の安全性に関するデータは?


・人間からの証拠は限られており、主に健康人から得られている。


・ヒトにおける酸素療法のみによる実質損傷の程度を判断するのは困難である。その理由は、常に交絡因子(例:肺組織の病変の存在や併存症)が存在するからである。また、多くの肺疾患は多様であるため、酸素が疾患のない領域と疾患のある領域に与える影響は不明である。

 ➡高濃度の酸素吸入を受けている患者は、酸素の直接的な毒性の影響にさらされる可能性があるが、酸素曝露が臨床的に意味のある副作用をもたらすパラメータは不明確であり、患者がもつ病気の種類によって異なる。




Q. 本論文の内容は?


要旨:

・低酸素性呼吸不全を伴う集中治療室(ICU)生存者を対象。低酸素化目標と高酸素化目標を比較検討した2つの大規模無作為化臨床試験において、長期的な認知機能と肺機能の両方を評価した。ICUにおける動脈血内の酸素分圧(PaO2)が目標60mmHgと90mmHgを比較したところ、 認知機能障害は同程度であったが、肺拡散能が認知機能の低下に可能性が示唆された。



問題点:

・ICU患者では、酸素供給目標が低い長期的な認知機能が損なわれる可能性がある。

他方、酸素供給目標が高いと、高濃度酸素による肺組織の損傷を起こす可能性がある。これが長期的な肺機能障害を起こる可能性がある。

 


目的:

・急性低酸素性の呼吸不全のICU生存者における1年間の認知機能および肺機能に対する血中の酸素の分圧(PaO2)として目標値を60 mm Hgと90 mm Hgで比較評価した。



方法:

・ICUにおける酸素供給目標およびCOVID-19試験における酸素投与目標の無作為化患者は合計3,654人。1,916人(52.4%)が生存し、そのうち1,244人(64.9%)が解析に適格であった。


・神経心理学的状態評価のためのGlobal Repeatable Battery for the Assessment of Neuropsychological Status(リピタブルバッテリーのグローバルスコア:RBANS)を用いた認知機能と、予測された肺拡散能(DLCO)の割合として評価された肺機能の2種の事前に計画したアウトカムを評価した。



結果:

・RBANSのグローバルスコアは、酸素化レベルが低いグループの生存者187名(平均=78、SD=19)と酸素化レベルが高いグループ の生存者188名(平均=76、SD=21)から得られた。

調整平均差=2 (95%信頼区間=22~6)。 DLCOは、酸素化が低いグループの生存者192人(平均=68%、SD=22)と、 酸素化が高いグループの生存者195人(平均=73%、SD=25)で測定され、調整平均差は25パーセントポイント(95%信頼区間=29~21)で。

以上、計417人/1,244人(33.5%)の適格生存者が検査対象となった。元の試験集団の11.4%にあたる。


・神経心理学的状態評価のためのグローバル再現バッテリースコアは、低酸素化群の生存群 187名 (平均=78;SD = 19)および高酸素化群では 188(平均=76;SD = 21)、調整平均差=2(95%信頼区間=−2から6)より得られた。


・低酸素化群192名の生存者でDLCOが測定された(平均=68%;SD=22)および高酸素化群で195(平均=73%;SD = 25);調整後平均差 =−5パーセントポイント(95%信頼区間=−9から−1)。

 ➡本研究がもたらすもの:

低酸素性呼吸不全を伴う集中治療室(ICU)生存者を対象に、低酸素化目標と高酸素化目標を比較検討した。2つの大規模無作為化臨床試験において、長期的な認知機能と肺機能の両方を評価した。ICUにおけるPaO2目 標60mmHgと90mmHgを比較したところ、 認知機能障害は同程度であったが、肺拡散能の低下が関与する可能性が示唆された。


図.  RBANSおよびDLCOの重症度による分布。

出典:文献1より一部を邦訳修正
出典:文献1より一部を邦訳修正

 

・神経心理学的状態評価のための反復可能バッテリー  (RBANS)  の全般的認知スコアと 5つの領域  (即時記憶、視空間/構成能力、言語、注意、遅延記憶) のインデックス  スコアの分布。

スコアは、背景年齢調整認知機能に応じて、正常以上  (0.115ポイント)、正常  (85~115ポイント)、軽度障害  (70~84ポイント)、中等度障害  (55~69ポイント)、重度障害  (55ポイント未満) に分類される。

酸素化目標グループ別に表示。RBANS テストに参加した生存者のデータ:  低酸素化グループ (n=189)、 高酸素化グループ(n=190)。


・全般肺機能イニシアチブネットワーク方程式に基づく重症度分類によるDLCO測定値の分布: 正常、zスコア 0.21.65 ;軽度障害、zスコアが21.65~ 22.5。中等度障害、zスコアが22.51~24.0。重度障害:zスコア 24.1未満 。


・酸素化目標グループ別に表示。肺機能検査に参加した生存者のデータ:低酸素化グループn=196,高酸素化グループn=198。



結論:

・PaO2の目標値を60mm Hgと90mm Hgで比較したが、1年追跡調査に含まれる低酸素性呼吸不全のICU生存者においても同様の認知障害を引き起こす可能性がある。



本研究から得られる情報のまとめ

・肺から血液中に取り込まれた酸素は、肺への酸素輸送、肺胞毛細血管膜を越えて肺毛細血管への輸送、組織への輸送によるヘモグロビンとの結合、そして好気代謝に利用される細胞への拡散を評価できる。しかしICUの臨床現場では、実際的には正確には評価できない。


・酸素不足では、患者は低酸素血症のリスクにさらされ、脳、筋肉、神経を含む組織や臓器に短期的・長期的に悪影響を及ぼす。急性呼吸困難の症候群患者に多い動脈酸素分圧(PaO2)の低下は、長期的な認知障害、特に行動の機能障害と関連している。このデータにより、標準酸素血症(85-110mm Hg)を標的とする提案がなされた➡しかし、この案に沿って酸素の過剰投与をすると、患者は脳、肺、その他の臓器に対する高酸素血症や酸素中毒のリスクにさらされる危険がある。


・本研究からは、長期的な認知機能が一般的に適用される酸素供給ターゲット内では影響を受けていないということが明らかになった。しかし、肺機能は酸素の供給状態によって肺組織そのものが影響を受ける可能性があり、「酸素の投与量」を考慮するためのさらなる調査が必要である。 ➡高濃度酸素の有害な影響は、知られてきたが確実な安全域の酸素濃度は不明であり、酸素への累積曝露によって媒介される可能性がある。



今後の課題:

・長期的な酸素療法により認知機能が一般的に適用される酸素供給ターゲット内では影響を受けていないとは結論できなかった。


・肺機能は酸素供給標的によって影響を受ける可能性があり、「適切な酸素の投与量」を考慮するためのさらなる調査研究が必要である。

 ➡ 高濃度酸素への累積曝露によって酸素による有害な影響が、否定できない。

 ➡脳と肺の適正なバランスを取るには、酸素供給の細かい調整と両臓器の病態生理に関する深い知識、研究が必要である➡将来的な研究方向として、脳、肺、その他の重要な臓器が機能を維持し酸素による毒性を回避するための適切な酸素供給の在り方を検討する必要がある。




 古く、高濃度酸素による障害として早産児の網膜症や乳児の気管支肺異形成症に関与していることが報告されてきました。成人で行われる酸素吸入では、早産児でみられるような酸素による障害は否定されていますが、安全性を確定するような検査方法はありません。先の論文では、酸素の取り込み効率を肺拡散能という視点で解析したことが特徴的です。肺拡散能を日常の診療のどの場面に役立たせるか、の情報はあまり知られていません。

 本研究では集中治療室で実施される治療の結果、退院後に認知症が多く発症することにつきその原因を酸素の過剰あるいは不足の可能性について検討しました。ICU症候群として知られていますが、呼吸器系や循環器系の破綻だけでなく、その以外の複雑で多くの条件が、関与している可能性を示唆します。他方、同じ呼吸不全であっても長期酸素療法(HOT)を受ける成人で生ずる問題点は、急性期に実施される酸素療法とは別個の問題点が生ずる可能性があります。HOTの効果は、継続実施が生存率を延長させるというデータが主であり、疾患対象もCOPDに関するデータが大部分を占めています。間質性肺炎や、肺がん終末期などに実施される酸素療法の効果についても効果が検証され、最適な条件が選ばれるべきでしょう。酸素の取り込み効率、酸素療法の有用性を肺拡散能のデータから検証できることを示唆する論文でもあります。

 実施中の問題点として鼻の乾燥などの副作用を発症する可能性があり、適正な加湿の在り方が検討されるべきであり、また顔面や上気道のやけど、酸素チューブによる誤着転倒、機器故障による低酸素血症のリスクがあります。在宅酸素療法による毒性は臨床的には有意とは考えにくいですが、酸素は薬として投与されるという前提に立ち、持続時間と酸素量を調整していかなければなりません。十分な治療効果があり、しかも安全で安心できる継続治療という視点で在宅酸素療法を検証していく必要があります。




参考文献:

1. Crescioli, E. et al.

Oxygenation targets and long-term cognitive and pulmonary functions in hypoxemic respiratory failure: a clinical trial.

Am J Respir Crit Care Med 2026: 212(3): 464–473.


※無断転載禁止

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