No.318 最重症の呼吸器疾患―急性呼吸窮迫症候群で見えてきた治療法
- 木田 厚瑞 医師
- 8月6日
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2025年8月6日
急性呼吸窮迫症候群(Adult respiratory distress syndrome)(ARDS)は、重度の呼吸器障害であり、肺だけでなく全身にわたる臓器障害を伴い、最重症に分類される病気です。交通事故などで重傷の外傷を負った際に、肺には直接の損傷がないのに、受傷後にレントゲン写真で見る両肺は、重症の肺炎のように広い範囲で白く変化を起こし、それと共に血液中の酸素が高度に低下し、全身の臓器の機能が高度に低下する病気です。この病気の解明は、1967年に米国、コロラド大学のPetty教授のグループがLancet誌に初めて発表された論文に始まります[1]。
ベトナム戦争では米軍の重症、負傷兵の蘇生でヘリコプターによる搬送の導入により、負傷者は受傷後1時間以内に集中治療室に到着できるようになり、患者の生存率は向上しました。 この紛争の中で米国陸軍医療部隊の医師たちは、初期の蘇生処置には反応を示したように見えたものの、後に呼吸困難で死亡した兵士が多いことに気づきました。ベトナムのダナンでの特に激しい戦闘により、「ダナン肺」(ダナン・ラング)という別名が生まれました。「ダナン肺」はARDSであったと言われています。
ARDSは熱傷、出産時に起こる羊水塞栓症、急性膵炎、外傷、敗血症などで起こり、また、外傷を含め、様々な病態の後遺症として説明されています。治療は主に集中治療室で行われ、現在でも生命を脅かす重症疾患です。主な治療は、気管内へチューブを挿管し、人工呼吸器に接続し、圧を加えて酸素を送りこむ陽圧換気と各種薬剤の点滴治療により実施されます。患者の状態が悪化すると、空気が入らず肺全体が硬くなり膨らみにくくなり、機械的な人工呼吸器によっても気道内の抵抗が増加します。やがて、人工呼吸器による治療限界に達します。
ARDSの発表から50年以上が経過しましたが、いまだに病気の機序など、その詳細は不明のままです。また、治療薬も手探り状態が続いています。新しい治療法の開発にあたっては、まず、解明を目指す病気の全貌を明らかにしておく必要があります。
ここで紹介する論文[2]は、ARDSの実地診療に携わり、しかも、学術的な背景のある人たちも集め、その意見を集約した論文です。最初にARDSの概略を説明し、ついで、専門家たちの意見の要約を紹介していきます。
Q. ARDSとはどのような病気か?
・典型的には、重症の外傷など誘因となる出来事の6〜72時間後(または最大1週間後)に高度の呼吸困難と動脈血酸素飽和度の低下の急性呼吸不全を呈する。
・診察時に、患者は頻呼吸、頻脈、および広範囲にわたり肺の聴診異常(断続性ラ音を呈する)ことがある。
・原因:多様な原因で起こる。
有害な煙の吸入、ショック、輸血に関連して起こる急性肺障害、⼼臓手術を受けた患者における術後合併症、急性膵炎、重症の外傷患者、外傷と⽕傷、⼼臓胸部外科手術後、薬物毒性など。
・胸部X線写真、胸部CTによる胸部画像診断所見はARDSの重症度に応じて多様である。初期の胸部X線写真では、典型的には両側肺に広く広がる陰影、肺胞へ空気が入らない無気肺が認められる。
・ 臨床検査では、特徴的な所見はない。高度の低酸素血症、またはそれに伴うショックや全⾝性炎症を反映する臓器障害の兆候、血液の凝固能の異常が認められる場合がある。
Q. ARDS研究の歴史は?
・急性呼吸窮迫症候群(ARDS)の一連の研究は、1967年によって米国、デンバー・グループによる12人の患者を対象とした一連の症例研究が始まりである[1]。
・2011年にヨーロッパと米国の共同チームが、ベルリン定義として知られるようになるARDSの再定義を試みた。
・ARDSは重篤な外傷症例に合併することもあるが近年、先進国では、胃がんなど予定された手術(待機手術)に伴う合併症として頻度が高いことが問題となっている。
・ベルリンの定義では、患者を軽症、中等症、重症の3段階のARDSに分類し、分類は患者の低酸素血症の程度に基づいている。各段階は死亡率の増加とも関連している。
・生存者における機械的人工呼吸器の使用期間の中央値も徐々に増加している。以前の定義と比較して、最終的なベルリンの定義は死亡率のより優れた予測因子であると判断された。 ARDSの生存率は、主に肺保護戦略の登場により、1990年代初頭以降大幅に改善した。免疫担当細胞による肺毛細血管上皮への攻撃を引き起こす一連の代謝および免疫学的イベントは、未だ解明されていない。ARDS研究の究極の目標は、疾患治療薬の発見であり、初期の動物実験では遺伝子治療の将来性が示唆されている。しかしながら、今のところそのような薬剤は開発されていない。
Q. ARDSの発症機序は?
・典型的な肺の組織学的所見 ➡肺胞の多様な損傷と肺胞壁における硝子膜形成が挙げられる。
・ARDSでは、炎症促進性サイトカインと抗炎症性サイトカインの不均衡が機序として問題である。
・ARDSの急性期は、以下のように肺胞の損傷と肺毛細血管内皮障害が増悪過程と関連している。
・活性化した白血球(好中球)が肺毛細血管の壁に接着し肺胞の壁を損傷する ➡ 肺胞の壁の基底膜に穴を開ける ➡ 大きな分子量を持つ血漿タンパク質が肺胞の間質に漏れ出す ➡ 肺胞の壁が厚くなり肺水腫を引き起こす ➡ 酸素を取り込み、二酸化炭素を排出するガス交換の障害を起こす。
・肺胞の壁が厚くなる肺コンプライアンスの低下を起こし、肺が膨らみにくくなる。
・肺胞の構造が膨らみやすいのはその表面張力を低下させるサーファクタントが役割を果たしている。
・肺胞の壁を構成する肺胞上皮細胞は2種類から成る。 ➡ Ⅰ型肺胞上皮細胞は、細胞質板は著しく細長く、細胞小器官は比較的少ない。これらの板状構造が肺胞におけるガス交換面を形成している。 ➡ これらⅠ型肺胞上皮細胞が損傷すると、肺胞への液体の流入が増加する一方で、肺胞腔からの液体の排出が減少する。➡ II型肺胞上皮細胞は損傷に対してより耐性がある。
・II型肺胞上皮細胞は、サーファクタントの生成に関わっており、I型肺胞上皮細胞に変化し、肺胞壁の大部分を作り上げている。
・肺胞の壁を構成するⅠ型肺胞上皮細胞、II型肺胞上皮細胞と毛細血管の壁を構成する血管内皮細胞が広範に障害を受けた状態がARDSである。
・最近の研究では、血液中の好中球と一部のT細胞も炎症を起こした肺組織自体に遊走し、炎症の悪化に寄与することが判明している。ARDSにおける免疫担当細胞の行動変化の根本的な原因は解明されていない。解明されれば新しい治療薬の開発に進む可能性がある。
Q. ARDSの治療は?
・40年にわたる研究にもかかわらず、治療薬はまだ開発されていない。
・今日に至るまで治療は白血球(好中球機能)の異常に対する根本的な治療よりも呼吸と心臓のサポートに重点が置かれている。
Q. 本論文の目的であるARDSに関する会議とは?
会議の目的: ARDSの機序や治療法について、現時点での問題点を明確にしておく。
会議の参加者:
・ARDSの実地診療に5年以上関わり、しかも最近の論文執筆が5編以上ある臨床専門医をパネリストとして選び、概要について説明し、現在の問題点についての情報を整頓した。
42名のパネリストのうち、40名がネットを使用したデルファイ法という方法で意見をまとめた。
・パネリストの平均年齢は52歳、⼥性は16名(40%)。13名(33%)は低中所得国(LMIC)出身で、全6大陸を代表していた。また、その大半(n=33、83%)は大学付属機関の勤務医であった。パネリストの大半(n=35、88%)はARDSのベルリン定義を用いて回答した。2024年1月15日から3月31日までの間に、4回のデルファイ法がパネリスト全員(100%)の参加を得て完了した。デルファイ法とは、議論により問題点を絞り込んで
投票を繰り返し、一定数になるまで議論を行い、投票して次第に意見をまとめていく手法である。
Q. ARDSはどのように考えられているか?
専門医の合意が必要とされるARDSの研究領域
ARDSの大枠の問題点は図1に示された項目である。
図1 ARDSが発症する機序と問題点の概略

図説明:
呼吸コンプライアンスが低い=肺組織が硬くなり膨らみにくくなることである。
ガス交換が行えないような空間部位は死腔と呼ばれる。
シャント=動脈と静脈がガス交換なしに直接、交わる。
肺胞の壁が硬くなり、肺組織が膨らみにくくなる。発症の原因は、さまざまである。
20項目に細分類した研究領域の中で、臨床医、研究者、教育対象者(学生など)についてデルファイ法の参加のうちで95-100%の意見の合意をみたのは低酸素血症が生じているという(PaO2/FIO2低値)の項目のみであった。
➡ 現行のARDSの定義の枠内に納まらない問題点が多いという意見が大半を占めている。
臨床的な立場でARDSの定義の上で整頓が必要とされる問題点を図2で示した。
図2 ARDSの定義の上で整頓が必要とされる問題点

図2に現在、判明している事柄と治療の確立のために将来、研究が必要な領域を示した。
FiO2=酸素吸入濃度、SaO2=酸素飽和度、SpO2=動脈血の測定で得られた動脈血酸分圧。
図3 ARDSの概念モデルに一致した今後の研究方向

ARDSに関する知識ギャップと研究の優先順位 ARDS=急性呼吸窮迫症候群。SpO2 /FiO2=酸素飽和度と吸入酸素分圧の比。PaO2 /FiO2=動脈血の酸素分圧と吸入酸素分率の比。HFNO=高流量経鼻酸素療法。PEEP=呼気終末陽圧。
Q. 今後の研究方向性に向けた合意事項は?
・ARDSの診断基準を決め、さらに分類することは、今後の臨床ケア、研究、教育、ベッドサイド指導の場面で有用である。
・ARDS患者の概念には、以下の特徴が含まれるべきである。
1)経過に関する問題点
・急性に発症するという原因から発症日までの日数(数日から数週間以内)。
2)ARDS発症の危険因子
・例:肺炎、敗血症、外傷、輸血、火傷、誤嚥、ショックなど、を特定。
3)ARDSを発症した患者における呼吸器症状の悪化していく経過を明確にする。
・数日または数週間以内。
4)画像診断
・ 胸部CTなど肺画像診断における具体的な変化(浸潤の質と範囲)。
5)肺の炎症病変に関する意見を一致させる。
6)肺胞毛細血管透過性の亢進に関する詳細な機序を解明する。
7)肺組織が硬くなるという現象。
コンプライアンスが低くなる原因、進行過程を解明する。
元の構造に戻すことを可能にする機序の解明。
8)著しい低酸素血症が生じる生理学的な理由。
Q. 将来研究の成果は?
・現在の定義によるARDSの概念モデルが妥当であるというコンセンサスがあるにもかかわらず、多くの専門家は、研究、教育、および患者管理のための共通した明確な診断基準を持つに至っていない。これを整備することにより、研究の正確性が向上し、診断精度が改善され、より個別化された患者ケアにつながると考えている。
ARDSの治療は、デンバー・グループによる提唱以来、半世紀が経過しています。ARDSは、災害や事故が原因でなお、多くの患者さんが日常的にみられるにも拘わらず統一した診断、検査、治療に至っていません。最重症のARDSは、設備が整った病院の集中治療室で治療することになりますが、それよりも軽症の患者さんは数倍多いはずであり、医療設備が必ずしも完備されていない地域でも多く診られるはずです。現在の治療は、人工呼吸器を装着するなど、呼吸管理が主になっていますが、発症機序の詳細が判明すれば、点滴などで薬剤を投与し、治癒を目指すという新しい治療に結びつくと思われます。
この領域の医療の進歩を心から期待したいと思います。
参考文献:
1.Nasa P. et al.
Defining and subphenotyping ARDS: insights from an international Delphi expert panel. Lancet Respir Med 2025; 13: 638–50.
2. Cutts S. et al.
History of acute respiratory distress syndrome. Lancet Respir Med 2025; 13: 547–548.
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