2023年10月1日
呼吸器の病気の中でも治療が難しいのは、肺の構造そのものが大きく変化し、働きの面でも元に戻すのが難しい場合です。大きく穴が空いて壊れる肺気腫とその対局にある間質性肺炎が問題です。肺気腫は肺が過膨張となり縮まりにくくなる病気ですが間質性肺炎は肺組織が広い範囲で炎症性の病変を起こし、硬くなり膨らみにくくなるという病気です。重症化すれば肺気腫、間質性肺炎の両者とも高度の息切れに加え、酸素が十分に取り込めなくなり健康な身体機能の維持に多大な障害を与える結果となります。
特発性間質性肺炎(IIPs)は原因不明の間質性肺炎をまとめた病名で、国の指定難病となっています。一定の条件を満たせば、医療費助成制度が受けられます。
その中でも約半数を占めているのが「特発性肺線維症(IPF)」です。特発性とは原因不明という意味であり、原因不明の大きなグループの中のさらに原因不明の小グループというわけです。IPFは、近年、世界的な増加が警告されています。
IPFは、進行性の間質性肺炎であり高度の息切れや咳などの症状があり、重症化すれば多くは血中の酸素が不足した慢性呼吸不全となります。50歳以上の男性に多くみられます。近年、抗線維化薬が使われるようになり、さらに臨床治験が進行中の新規治療薬があり、治療の方針に明かりがみられるようになってきました。
IPFの患者の80%以上に咳がみられるといわれます。咳は多くの場合、痰を伴わない空咳のことが多いのですが1回に2キロカロリーを使うといわれ一日中では100回を超えることも多く、消耗する原因となっています。
「咳がだんだん増えてきましたが、悪化していく予兆でしょうか」、患者さんから時々、受ける質問です。
ここで紹介する論文は、英国の研究グループが、多くの症例を追跡調査し、咳と特発性肺線維症(IPF)との関係を明らかにした論文です[1]。従来、呼吸器疾患とGERDとの関係は、特に喘息を悪化させる要因としても知られてきました。他方、古くから間質性肺炎の咳の原因として逆流性食道炎(GERD)が知られていましたがその臨床的な意義は不明でした。
GERDは、間質性肺炎そのものを悪化する要因として近年、改めて注目されています。ここでは、IPF、空咳, GERDの接点について研究した最近の論文に解説を加えます[1-3]。
Q. 特発性肺線維症(IPF)と咳の問題点は何か?
・咳はIPFの主症状として知られている。強い咳は患者のQOLを損ねる原因となっている。強い咳がIPFの患者の予後とどのように関わっているかのデータは現在のところは不明である。
Q. IPFの問題点は何か?
・IPFは間質性肺炎の1種であり進行性で難治性の疾患として知られている。
・IPFの患者数は増加傾向にある。
・抗線維化薬が使われるようになり、線維化病変を遅くすることができるようになってきたが必ずしもQOLを改善しない。
・咳はIPFの症状の中でQOLを阻害することが知られている重要な症状の一つである。
IPFの患者の50%~80%が慢性の咳で困っている。
・IPFにみられる咳の原因として考えられているのは、気道が変形したこと、痰が過剰に産生されその結果としての咳、神経学的な過剰刺激による咳き込み、などが推定されている。近年、注目されている原因はさらに睡眠時無呼吸症候群との合併に加え逆流性食道炎の併存である。
Q. 本論文[1]の目的は?
・IPFと診断されている患者で咳がQOLをどのように低下させる原因となっているかを明らかにする。
・IPFと診断されている患者の遺伝子検索を実施し、典型的といえるMUC5Bと咳が関係しているかどうかを明らかにする。
Q. 研究方法は?
・英国の国立心肺研究所、Oxford大学、Royal Brompton Hospital、米、スウェーデンの研究者による多施設、共同研究PROFILE試験のデータ報告。
・計632人のうち216人のIPFの症例を半年間の間隔をおいて3年間にわたり調査した結果である。
・咳の強さはLCQ(Leicester Cough Questionnaire)の19項目の問診によりスコア化をした。肺機能検査、QOLをチェックし、遺伝子検査によりMUC5Bであるかを確認した。
Q. 結果は?
・平均年齢70.2歳、男性は77.1%、既、現喫煙者が68.2%。肺活量(FVC)は同性同年齢比較で74.1%、 肺拡散能は48.6%にそれぞれ低下。
・48.6%に逆流性食道炎あり。プロトンポンプ阻害薬治療は27.8%、抗線維化薬は8.8%で実施。
・1095日間の継続観察で咳の強さと予後は関係がなかった。
・遺伝子検査でMUC5Bの遺伝子を有する場合と咳は無関係だった。
・経過で咳は改善なく、悪化することのいずれでもなかった。
Q. 問題点は何か?
・本研究は、多数のIPFの症例について咳の問題を検討したものである。さらに咳の強さを数値化して評価したところに特徴がある。その結果、咳はIPFの患者にとっては大きな負担、問題点となっていることが判明した。
・咳の強さは肺機能検査の項目の中では肺活量および拡散能の低下と弱い相関性がある。しかし、MUC5Bの遺伝子形とは関係がなかった。
・IPFでみられる咳には性差があり、女性の方が強かった。
・QOL低下とは統計的な関係はなかった。肺機能の低下がQOL低下と関連する可能性がある。
・咳は経過中に変化がみられる。その機序は、咳を起こす神経系への過剰刺激が問題となりそうである。気道の神経系のP2X3イオンチャンネルの刺激で咳を起こすことが示唆されているし、末梢神経に影響を与えて咳を抑える作用を呈するサリドマイド投与により治療効果があることが知られている。
・咳の強さが予後悪化になるかどうかについては本研究では、悪化要因であることを示唆するが他の同様な研究とは一致しない。調査対象症例の重症度の違いを反映している可能性がある。
Q. GERDとの関係について?
・IPFにおける咳の原因で重要な原因の一つは、GERDであるが本論文では検討されていない。厳密にいえば、IPFにおける咳は、原因か結果か(chicken or egg)が不明であるがGERDはIPFのリスクを高める(Odd ratio=1.6)という報告がある。他方、IPFの87%にGERDが共存するという報告がある。しかし、治療薬の一つであるPPIの投与はわずか27.8%であった。
Q. IPF研究の難しさ?
・頻度に人種差が大きいことが知られているが蓄積データは不十分である。
Q.GERDとはどのような病気か[3]?
・軽症:週に2日以上発生する軽度の症状。
中等症~重度:週に1日以上発生する症状。
・胃食道逆流(GER):胃内容物の食道への通過、逆流、嘔吐な症状がある場合。状態を示す。
・胃食道逆流症(GERD):厄介な症状や、これに伴う合併症を引き起こす場合。一つの独立した疾患を示す。
・糜爛(びらん)性食道炎:内視鏡検査で目にみえる糜爛につながる食道の炎症。
・GERDの診断方法は確立していない。難治性の胸焼け、胃カメラを実施済みでも結論がでない場合には、インピーダンスーpH検査が新しい検査方法として試みられることがある。
Q. GERDの治療法は?
・ライフスタイルの変更。最も効果的な薬物治療はプロトンポンプ阻害薬(PPI)の投薬。
・8週間のPPI投与で効果なし、合併症なしではいったん治療を中止する。
その上で効果を再判定し、最低容量の少量PPIを長期投与。
・肥満がある場合には減量する。
Q. GERDの実態は?
・有病率は全世界人口の13.3%。米国でその医療費は年間10億ドル。
・GERDの危険因子とされるものは以下の通り:50歳以上。喫煙習慣、非ステロイド系抗炎症薬の使用。肥満。女性でおこりやすい。米国では摂食内容、運動不足と関連する社会経済的地位の低さと関係する。
Q. GERDの症状を示す疾患は?
・糜爛(びらん)性食道炎:
表現型には内視鏡検査で粘膜破断なしの非糜爛性逆流症(患者の60~70%)、粘膜破断ありの糜爛性食道炎(30%)、食道内面の上皮細胞が広い範囲で変性し癌化につながるバレット食道(5~12%)。
・GERDを無治療で経過を診た場合の自然経過に関するデータは十分ではないが時間経過とともに進行(非糜爛性逆流症から糜爛性食道炎へ)。糜爛性食道炎からバレット食道へと退行(糜爛性食道炎から非糜爛性逆流症へ)がありうる。
Q. GERDの特徴的な診断は?
・診断につながる症状は胸やけと胃酸逆流の存在である。これらの症状は、胃-食道の運動障害、食道粘膜障害、機能性食道障害にもみられるので鑑別を要する。
・機能性胸やけとはGERDがない場合で胸骨後の不快感または痛みの灼熱感として定義される。
Q. GERDの治療はどうするか?
・摂食指導を受ける。
症状を悪化させるライフスタイルや食生活の回避。体重減少。枕を高くする。就寝前の少なくとも3時間前は摂食しない。ストレス回避のライフスタイル。アルコール摂取を避ける。禁煙を守る。体重を正常化する。運動を含む日常生活の改善を図る。
毎日2杯以上のコーヒー、紅茶、ソーダ類の飲料を避ける。特に女性ではその効果がある。
・薬物治療は、制酸剤ヒスタミンH2受容体ブロッカー(PPIに反応しない場合に追加する)、PPIプロトンポンプ阻害薬、朝食の30分前に服薬)。スクラルファート。
Q. 喘息とGERDの関係?
・古くから因果関係が知られている。
Q. 再発性肺炎とGERD?
・経過で疑われる場合。酸抑制による治療が効果的。肺機能検査で経過を診る必要がある。
逆流性食道炎は古くから喘息の悪化原因となることが知られており、女性では特に注意が払われてきました。論文1では、特発性肺線維症(IPF)の高度の咳が重要であることを指摘しています。しかし、この論文の欠点はIPFと逆流性食道炎の関わりが検討されていないことであり、論文の査読者からそれを指摘されています[2]。恐らく、査読者の指摘を受けて論文の考察に追記したのが、GERDがIPFに対して「鶏や卵か(chicken or egg)」の関係にあるという一文であろうと思われます。GERDは、IPFにみられる高度の咳込みの原因であるだけでなく、IPFそのものの悪化要因となっている可能性があるからです。近年、喘息だけでなく睡眠時無呼吸症候群もGERDと深いかかわりが知られており治療方針の上では重要です。本論文ではIPFとGERDの関係が示唆され、改めて咳を起こす呼吸器疾患全般とGERDとのかかわりを注意しながら治療を進める大切さを教えてくれます。
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